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記 大住宏明
●トレッキングまでの道は遠いのだ 関空より飛び立ち、バンコクで一泊し、そこからネパールのカトマンドゥへ。ヴィザをあらかじめ取得していなかったので、入国審査時に申請(30日有効で$25)するが、結構このパターンの人が多い。しかも飛行機から降りるのが最後だったので行列の最終に近い位置で並ばなければならなかった。結構時間がかかり、暑さと無意味な待ち時間のためいらいらが募り(君たちは効率という言葉を知っているのかい!)空港から出たときは気力が失せていました。
ネパールでトレッキングをするには、トレッキングパーミッションが必要である。取る必要があるのだが、もう自分でブッキングする気力をなくしてしまい、ホテルで良心的な旅行業者を紹介してもらった。ルクラまでの航空券共ともに$153もかかった。 翌日の午後、その旅行会社に行くとトレッキングパーミッションはとれていたが、航空券はまだとれていないとの事。【明日の出発日の朝7時にもう一度きてくれ】と言われた。
●4月21日 ルクラ〜ジョルサレ トレッキングの出発日である。7時に行くとまだ閉まったままである。8時に店は開いたが、書類の入った金庫の鍵を持っている人がまだ出社していない。出してもらったチャーを飲みながら、いらいらしながら待っていた。もらったチケットを見ると、出発時間は8時30分である。もう8時を過ぎている。 8時前に着いたのだがチェックインカウンターにだれもいない。トレッカーらしき人々と荷物がその前に溢れている。うわさではルクラへは飛んでいないらしい。関係者が誰もいないので、正確な情報が得られない。結局飛行機が飛んだのは11時過ぎであった。この間何の説明もなく、「飛んでくれ〜」と祈っているしかなかった。
飛行場には多くのシェルパたちがトレッカー達を待っており、営業活動をしている。とりあえず昼飯ということで、近くにあったレストランに入る。メニューはワールドワイドでたいていの物がある。ここはやはりネパール定食ダル・バートである。お米はインディカ種で結構おいしい。ここは高級レストランらしく200Rsも取られた。 殆どの人は出発したらしく、トレッカーは見かけない。ルクラの中心部を通り抜け、北に進んでいく。200mも過ぎると民家はなくなり、踏み固められた道を降りていく。すぐツアーらしき多くの団体を軽くパスする。向こうから軽やかなカウベルのメロディーが聞こえ始め、ヤクさん(高地に住むウシさん、ヤーさんとは違う)の団体と遭遇する。ヤクさんは背中に大きな荷物を背負らされており、優しそうな黒い瞳で通り過ぎていく。このシーンを見て「あ〜ネパールしているな」と再認識させられた。 高度を下げドゥードゥ・ゴシ川の近くまで降りてくる。2時間ほどでパクディンに着く。まだ日が高いので進めるところまで行くことにする。ここで立派な吊橋を渡り、右岸へ。シェルパ達が水場に集まっていたので、 宿泊客はシェルパ二人と私だけ。食事までに食堂兼台所で食事の支度を見て時間をつぶす。夕食はまたダル・バート。シェルパの食欲はすさまじく、二度もおかわりをしていた。私は一度半で満腹でした。彼らは明日ディンボチェまで行くといっていた。二日の距離である。
●4月22日 ジョルサレ〜タンボチェ
遅い朝食をとった後、出発しようとしてストックがないことに気がついた。ナムチェに入る前には持っていたことは覚えているが、その後の記憶がない。ストックそのものは大して値打ちがないのだが、このストックを持っていると概して天候がいいのだ。とりあえず集落の入り口まで戻ったが、ストックは発見できなかった。あったほうがいいだろうということで、ナムチェに数件ある登山用品屋で中古のストックを1000Rsで購入する。あ〜無駄な出費だ。 ナムチェから先に進むときはチェックポストで名前を記入しなければいけないのだが、それも忘れていた。またカラパタールとゴーキョへの分岐になるサナサへ行くのに、わざわざシャンボチェを経由して時間をロスしてしまった。たかだか3400mくらいでボケているようでは、先が思いやられる。 サナサであったシェルパのガイドにタンボチェまでの時間を聞くと5時間かかるという。もう13時を過ぎているので日没までにタンボチェへとどかないかも知れない。手前のプンキティンガに15時に着く。後は600mの標高差を登ればいいだけなので進むことにする。最後の登りは結構しんどかったが17時にタンボチェ(3867m)着。 一番最初に目に入ったロッジに宿泊しようと近づいていくと、そこに初老の日本人がいた。今日ジョルサレから来たというと、驚いていた。しきりに体調は大丈夫かと心配してくれた。体調は大丈夫だが脳力はあやしい。
●4月23日 タンボチェ〜ペリチェ
日が高くなり暖かくなったところで出発。樹林帯を降りて吊橋でドゥードゥ・ゴシ川の右岸へわたり、緩やかな登りを進んでいく。パンボチェで少し早い昼食をとりゆっくり進んでいく。この辺りより植生が変わり、緑が少なくなっていく。12時を過ぎると上空にガスがかかり始め、山々のピークが見えなくなる。 青灰色の濁ったドゥードゥ・ゴシ川の分岐が見え始め、左の小高い丘を登ると左岸にペリチェ(4243m)の集落が見える。奥まった小さなロッジへ行くと日本人が3人宿泊していた。そのうち一人(藤山氏)は風邪の症状がひどくなり、ペリチェにある診療所で診てもらうために寄ったらしい。BCから来たと思われる、オーバージャケットにスポンサーのワッペンをそこら中に付けた人も診療所の前をうろうろしていた。 食事まで時間があるので、一寝入り。起きてみるとなんか熱っぽい。少し頭痛もする。これが高山病なのかなと思っていた。
●4月24日 ペリチェ〜ロブチェ 翌朝、幸いにも熱も頭痛もおさまっていた。ペリチェ一帯は氷河が残したモレーン地形となっており、川の両岸は自然の高い堤防となっている。川のほとりは湿原となっており、放牧されたヤクが豊富な植物をはんでいる。ロブチェまで4時間ほどなので、本当にゆっくりと景色を見ながら進んでいく。 朝に診療所に寄っていた藤山氏が追いついてきて、ゴラクシェプまで一緒に行動することになる。しかし、この時私は重大な事に気がつかなかった。彼は風邪をこじらせて診療所に来ていたのである。その意味をボケた頭では考えられなかったのである。 丸太の橋で川を渡るとトゥクラである。ここから高度差300m程登らなくてはならない。登りつめたところはシェルパ達のお墓であるチョルテンが連立している。独特の山容のチェラツェやアマ・ダブラムがよく見る。後はモレーンに沿って進んでいくだけである。しかし結構大きな岩があり歩きにくい。 ロブチェ(4930m)にはロッジが3軒しかなく、どれもそんなに大きくない。泊まったロッジはドミトリーしかなかった。メニューを見ると値段が高い。高度が高くなると値段上がるのは世界共通みたいだ。 また一寝入りした後、熱っぽく頭痛もする。昨日と同じ症状だ。さらに鼻水が出てくる。これは完璧に風邪の症状である。この時やっと風邪をうつされた事に気がつく。藤山氏が診療所でもらってきた薬をわけてもらう。
●4月25日 ロブチェ〜カラパタール
エヴェレストBCを探したが、裸眼でははっきりとは確認できない。明日氷河の上を歩いて行けばわかるだろう。しばらく待っていたが人が来る気配がない。サガルマータをバックに写真を撮ってもらいたかったのだが。あきらめてカラパタールを後にする。 ドミトリーの部屋に戻り横になって行動記録を書いていると、急に右の腎臓が痛くなり動けなくなった。夕食も食べずにそのまま横になりじっとして耐えていたら、23時頃少し良くなった。しかし今度はおなかが減って寝られない。みんなを起こさないように行動食を静かに食べる。腎臓にはまだ鈍い痛みがある。この調子だと明日エヴェレストBCはあきらめ、すぐに降りなけらばならない。 以下つづく
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