エヴェレスト街道トレッキング Part2

記 大住宏明 

 

 Rsはルピー、$は米ドル 、「」内は日本語、『』は現地語(日本語表記)、【】は日本語訳(類推含む)です

 

●4月26日 カラパタール〜ペリチェ

 行動食程度ではおなかがふくれず、ロッジの主人が起きたことを確認して、比較的早くできるメニューであるシェルパ・シチュー・スープを注文する。このメニューは具が前日の残り物なので早くできる。一番早いのはラナ・スープ(インスタントラーメン)である。
 再び起きたとき、殆どの人はすでに出発していた。まだ腎臓には鈍い痛みがあるが歩けないことはない。エヴェレストBCはあきらめてペリチェに素直に降りることにする。ペリチェの診療所で診断してもらい今後の行動を判断しょう。
 モレーン地形を横切る登りがあるぐらいで基本的には下りなので楽である。ロブチェで早い昼食をとり、ペリチェへ。往路と同じロッジに泊まる。診療所の診察時間は15時からなのだが、はじめに高山病予防のレクチャーがあるので、17時過ぎに再訪する。

docter ドクターはキャッシーと名のるアメリカ人の女性で、ボランティアとしてここに派遣されているらしい。症状を訴えると、まず尿検査をすること。その結果血尿が出ているらしい。その後体温、血中酸素濃度測定と触診である。しかし体温測定結果は97F1)という表示で、セルシウス温度では何度になるかすぐ計算できない。またパルスオキシメーターで血液中の酸素濃度(動脈血酸素飽和度)2)を測るのだが、これが計るたびに値が異なり50〜80%の範囲にばらつく。なんか信用できんなぁ〜。特に異常が見られないので、腎臓結石だろうとの事。
 薬を出すため過去の病歴を聞かれるのだが、その単語が専門すぎてさっぱりわからない。ここで登場したのが持ってきていた電子辞書である。英単語を入力してもらい日本語に変換。結構医学用語もインプットされている。
 薬をもらうとき、すぐルクラへ降りてカトマンドゥで医者に診てもらうことを約束させられた。痛止めは強力らしく、絶対他の薬と併用してはいけないと何度も念を押され、水分は一日5リットル必ずとれとの事。支払いは診察料、薬代含めて2900Rs。$でも\でもいいそうです。明日の朝、様子を見るためもう一度来いとのこと。

●4月27日 ペリチェ〜チュクン

 抗生物質が効いてきたのか腎臓が軽く感じられる。これならすぐタンボチェへ降りずに一日チュクンにピストンするぐらい問題ないだろう。診療所に行くと外へ出てドクターがトランシーバーで交信していた。交信が終わるやいなや【調子はどお?】
 【腎臓の痛みはもうありません】
 【抗生物質は痛みがなくてもちゃんと飲むこと】
 【はい、あと少し後頭部に痛みがあるのですが】
 【今日タンボチェまで降りるのでしょう】
 『Well.…』
 【とくに問題ないでしょう】
 ドクターごめんなさい。私は嘘をついてます!
チュクン ドクターに見つからないように、診療所の裏の登りをこそこそと登っていく。このルートがディンボチェへの近道になるのだ。40分ほどでディンボチェへ。適当なロッジを見つけ、投宿。ザックをデポしチュクンへピストンする。

 ローツェ氷河が源になる青灰色のイムジャ・コラーの右岸を進んでいく。二ヶ所ほど小さな支流を徒渉する。二時間弱でビブレに着く。昼食を食べているとロッジのおじさんが出てきて、ここから見る山々の名前を教えてくれた。この頃は昼頃からガスがかかってきて、山が見えにくくなってきている。一時間弱でチュクン(4743m)へ。
 すでにガスは空の大半を占めチュクンのピークは確認できなかったが、アマ・ダムラムが近く、雪のヒマラヤ襞が美しい。半時間ほど滞在し、ディンボチェへ戻る。ディンボチェの集落手前で近道をしようとしてルートを外れる。しかし、集落のまわりは棚田のようになっておりヤクなどの動物が入り込まないように石垣が積まれている。行く手を阻む石垣を乗越えていたら、かえって時間を浪費することになった。石垣は適当な石で適当に積み上げられているが、けっこう丈夫で人が乗っても簡単には崩れない。でも少し破壊したこともあったような気がする。

●4月28日 チュクン〜タンボチェ

 ルクラに素直(すでに寄り道しているが)に降りるためには、今日はナムチェまで行くのが普通である。でもこのまま降りてしまうのは非常に惜しい。しかしまだ体調は回復した訳ではない。という訳でゴーキョへの分岐となる途中のタンボチェで様子を見ることにする。ドクターが、余裕を見て五日分の痛止めと抗生物質の薬をくれたのも原因の一つである。
 パンボチェの手前にきれいな小川があり、地元の人々の洗濯場所になっている。そこで久しぶりに髪を濡らすことができた。水は冷たくて気持ちがいい。パンボチェで昼食をとり、ゆっくりタンボチェへ向かう。
 静かに過ごしたかったので、端のほうにあるさびれたロッジを選んだが、後でツアーがロッジ前にテントを幕営し目論見は外れた。暇だったのでその辺をうろうろしていると、前は見つけられなかった加藤保男氏の慰霊碑を奥まったところで見つけた。他にすることがなくなったので昼寝に突入。

 ロッジが騒がしくなり目が覚める。ツアーのトレッカーとシェルパが騒いでいる。地図を見ているガイドがいたので、その横に座りゴーキョまでの情報を教えてもらう。ガイドの彼は片言の日本語がしゃべれる。勉強熱心で英日、日英の辞書を持ち歩いている。英国人の母娘のガイドをしていて、その母娘といっしょに国名当て英単語ゲームをして遊んだ。欧州人というのは以外とアジアを知らないもんだな。いい成績を残せました。

 

●4月29日  タンボチェ〜ドーレ

 体調は二日前から特に変らなく、たぶん大丈夫だろうということでゴーキョまで行くことにする。後三日分ある薬の服用量を半分にすれば、六日は持ちこたえられる。
 ロッジのおかみさんに地図には載っていないポルツェ・ティンガへの近道を聞いていたが、実際歩いてみると踏後が少なく不安になる。途中であったシェルパに聞くとポルツェ・ティンガへ一時間でいけるとのこと。イムジャ・コラーを渡った所で休憩。ここで腐れ縁となる米国人五人家族のMcMillanファミリーと出逢ってしまう。話をすると目的は一緒。彼らも不安だったらしい。ここから標高差400mを登り返さなくてはならない。高度が上がるにつれ見晴らしが良くなり、対岸のルートが見えてくる。あんな所によく道を付けたなと思う。
 途中のポルツェを通過しようと思ったが、先行していたMcMillanファミリーに手招きされ、ロッジで休憩。一足先に出発しポルツェ・ティンガで昼食。ドゥードゥ・ゴシ川を渡り、後はゴーキョまで登るのみ。シャクナゲのような花やブナの樹木が生い茂り、小鳥の姿も見かける。今日は特に暑く感じられ、樹林帯を抜けると日射が強い。あ・つ・い!

 ドーレ(4084m)の集落を一望できる所へ出た時はほっとした。ロッジが4軒あるのが見える。どのロッジを選択するかは各個人で一定の基準があるみたいである。私はこぢんまりとした、それほどボロくないメインストリートから離れたところを選んでしまう。この日泊まった仏人カップルと英国人ペアが後二泊も同じになるとは思っていなかった。
 いつもの昼寝をした後ダイニングルームに行くと、日本人カップルがいた。ニュージーランドでのワーホリの帰りらしい。羨ましいな、まだまだ遊べて。

 

●4月30日  ドーレ〜マッチェルモ

 ガスっている。一気にゴーキョまで行ってもいいのだが、急ぐこともない。マッチェルモまでは三時間もあれば着くので、ガスが晴れてから出発することにする。しかし、なかなか晴れず、待ちきれずに出発。最初の急登を登りつめると後は緩やかな登りが続く。Cyo oyu View Pointとペイントされた場所ではガスっていて見えず。

 ルーザの小さなロッジで休憩。ダイニング兼ベッドルームとキッチンしかない狭いところで、若い女性のネパリと二人っきりになってしまう。珍しいのかじっと見つめられている。何か手持ちぶさたである。過剰サーヴィスから抜け出し、マッチェルモ(4410m)へ。

 

●5月1日 マッチェルモ〜ゴーキョ

cyo oyu 快晴。なんか体が軽い。夜中、昨日にもまして5回もトイレに行ったのが良くなった兆候か。
 一時間ほどで川岸に出てパンガに着く。川幅が狭くなり、トレースも川に近づいて高度も上がっていく。最後はしぶきがかかるぐらい川に近づき、岩場を登りつめて川をパスすると正面はチョー・オユーが姿を現す。緩やかなモレーン地形を進むと、氷河の雪解け水でできた湖沼が三つ続く。最後のエメラルドグリーンの水を湛えたのがドゥードゥ・ポカリで、ゴーキョ(4750m)に着く。ドゥードゥ・ポカリに近い小さなロッジに一番のり。部屋はあるかと聞くと、プライベートルームはツインの部屋なので一人はドミトリーに泊まれとのこと。どうしようかなと迷っていると
 【食事をするのならドミトリーはただだよ】
と言う言葉で決める。

 ドゥードゥ・ポカリのきれいな水で靴下を洗い、エメラルドグリーンに茶色の残滓を残し、ささやかな環境破壊を行う。泳げたらいいなと思っていたが、さすがは氷河の水、非常に冷たい。そこまで根性がなく、足をつけるだけにしておきました。上空はガスっているので、今日はゴーキョピークをあきらめ、ひなたぼっこしてのんびりしていた。
 しばらくするといつもの仏人カップルと英国人ペアがやって来た。何で同じロッジを選ぶのか。たぶんこの人達も自国では変わりモノなのだろうな。さらにMcMillanファミリーがやって来てロッジは満員である。しかしMcMillanファミリーは三人に減っている。後の二人はどうしたのかと聞くとマッチェルモの登りでダウンしてナムチェに戻ったとのこと。若いほうの二人がダウンしているとは。

 19時頃雪が降り出した。結構積もっているので、早朝に雪が残っているかもしれない。明日のゴーキョピークは楽しみだ。

                                        以下つづく     

 雪景色

 

1)F(ファーレンファイト温度 or 華氏温度)
 欧米で使われている温度単位。日本ではセルシウス温度 or 摂氏温度が使われている
 ℃=(F−32)×5/9で変換できる

2)動脈血酸素飽和度(SpO2)
 動脈中の飽和酸素濃度。パーセンテージで表される
 測定原理はとしては脈拍に同期して変化する血液中のヘモグロビンの分光特性から算出する

 

26/Apr/'98

27/Apr'98

28/Apr/'98

ゴラクシェプ

8:10発

ペリチェ

9:40発

ディンボチェ

9:00発

 

2:20

 

0:40

 

2:00

ロブチェ

 

ディンボチェ

10:50発

パンボチェ

 

 

2:20

 

2:30

  

1:40

ペリチェ

14:50着

チュクン

 

タンボチェ

13:30着

 

 

 

1:35

  

 

 

 

ディンボチェ

16:20着

  

 

29/Apr/'98

30/Apr'98

1/May/'98

タンボチェ

8:30発

ドーレ

8:35発

マッチェルモ

7:50発

 

2:20

 

1:50

 

3:30

ポルツェ・ティンガ

 

ルーザ

 

ゴーキョ

11:45着

 

2:25

 

0:50

 

 

ドーレ

15:05着

マッチェルモ

12:25着

 

 

 

  

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