朝日連峰

 

記:山川祐子

 朝日連峰は、東北南部を南北に走り、並々と連なる山容はブナの深い原生林に覆われている。

はじめて自分で企画した山であり、はじめての悪天候にみまわれた山でもある。

 

 ‘97年夏の山行を企画したとき、飯豊か朝日でて秋田駒ケ岳、さらに白神岳へ。2週間かけてゆっくりと東北の森をめぐることにした。

 

 メンバーは学校の山仲間5名。お盆過ぎの ‘97年8月17日早朝東京を出発した。青春18切符で各駅と急行を乗り継ぐ気の長い道程がはじまった。日本海を北上し夕方頃JR鶴岡駅に到着した。そこからバスで1時間半。細い山あいの道を奥へ奥へとはいっていった。今夜は朝日屋さんという民宿に素泊まりする。ルート上はテントの規制があるのですべて避難小屋泊まりの予定だ。ラジオは低気圧の接近を伝えているが、天気はまだもっている。

 

 ルートは泡滝ダム〜大鳥池〜以東岳〜狐穴小屋〜寒江山〜竜門山〜大朝日岳〜朝日鉱泉へ至る3泊4日の行程である。ルートの長さと皆の体力を考慮して余裕のある日程にした。トレーニングや軽量化やルートの下調べなど準備をすすめるうちに、緊張で不安はふくらむ一方だった。 当時はルートを把握せずに山にいく人も多かったし、軽量化というわりには、ザックの中からJRの分厚い時刻表や、スケッチブックや、絵の具一式や、重たい旧式のカメラなどがざくざく出てきたりした。女子5人なので足並みはだいたい揃っていたが、ばてるのも早く、みんなが等しく初心者だったので、いざというときの決断もままならなかった。天気も荒れそうな中で、ハラハラしながらのスタートとなった。

 

 1日目は大鳥池までにして、午後は自由にスケッチや池巡りなどにあてた。深緑のこけが西日をきらりと反射している。三角池(みますいけ)には蜻蛉がゆきかい、とろとろとマムシがまどろんでいた。果てしなく平和なところだった。世の中にこんなに平和で美しいところがあったんだなぁと放心しながら半日を過ごした。

 早めの夕食をすませ、明日に備えてすぐにシュラフにはいった。けれどもいよいよ明日から長い稜線歩きだと思うと、雷や風や熊やその他いろんなことが心配でなかなか眠れない。夜も11時をまわったころようやく眠りについた。        

 

 明け方4時に目をさます。雨が降りはじめていた。

 暗いうちに登り始める。急登の連続に雨の湿度も手伝って蒸し暑い。すぐに皆、無言になる。今日は誰にもまだ会わない。稜線にでるころには、雨は嵐に変わりつつあった。せっかくの高山植物の宝庫も、灰色の視界の中でじっくり眺める余裕もない。バタバタとちぎれそうにはためく5つのザックカバーが頼りなげに以東岳をめざす。

  風がすさまじいので雨粒に砂利まで混じり出した。みんなこの風が随分こたえている。雷も心配だった。そんなタイミングで、遭難者をとむらうケルンがポツンとあらわれたので、悲壮な面持ちになる。

 ルートを全く把握していないメンバーもいるのに、このどしゃぶりの中、視界不良で声もとおらず、もし誰か滑落したり、はぐれてしまったら、本当に遭難してしまう。稜線上で強風にあおられて逃げ場もなく、窮して出てきた案がロープで互いを結び合うことだった。各自の6mmの補助ロープをつなげて、前後を結び合った。電車ごっこみたいで歩きづらいし、冷静に考えると、これでは1人が稜線からころげ落ちたらとめるどころか皆が巻き添えで落ちてしまうような気がする。けれどもなんだか不思議と連帯感が生まれ、歩調があってきた。

 真っ白な風が急峻な山肌を駆け上がってくる。この風はどこからきてどこへ行くのだろうと思う。

 もくもくと歩き続け、いつしか耳をうつような風も気にならなくなっていた。一番後ろから、皆の赤やオーレオリンや紺やスカイブルーのザックカバーを眺めていると、不思議と心が落ち着いた。

 

 山は優しいと同時に厳しかった。ひとつ間違ったら死ぬこともある。自分の身は自分で守らなくてはいけないんだ、という当たり前のことをはじめて実感した。そして山で雨にうたれると、ひしひしと家族や友達やいろんなもののありがたさが身に沁みる。布団ひとつ、灯りひとつ、水ひとつ、当たり前のものなんてなかったんだなぁと思うと、今自分がこうして生きていることがすごい奇跡のような気がしてきた。そうして落ち着いて眺めると、雨の山もまた綺麗だった。

 

 雨足も弱まったのでダケカンバの陰で休憩する。今日の宿泊地である狐穴の避難小屋もまもなく見えてくるはずだった。みんなの顔に今日はじめての笑顔がホッともれた。 

 狐穴小屋につく手前で急速に霧が引いていき、雲間から光がさした。うわ〜と歓声をあげてザックを放り出す。みんなカメラやスケッチ帖を出すのも忘れて、言葉もなくみいっていた。

 

 次の日も相変わらず雨が続き、稜線から飯豊や日本海をながめることは、とうとう叶わなかった。

 4日目にようやく天候は回復に向かい、中ツル尾根をおおかた下りきった頃に空に晴れ間がみえてきた。ブナの樹林の中は緑の天幕のようになった。太く立派な老木からしなやかな若木までバランスよくひろがる豊かな森は、急なくだりでできたまめの痛さを忘れさせてくれた。

 それにしても地の底まで下りるんじゃないかと思うほど、下りても下りてもふもとにたどりつかない。

 やっとのことで朝日鉱泉についたときは、もう1ヶ月間くらい山にいたような気がした。

 

 次の日は東京に先に帰る2人を見送って、3人で秋田駒ケ岳にむかった。

この山行をさかいに、山へ向かう気持ちが変わった。記憶にあるのはただひたすら雨と風と灰色の風景なのに、思い出す度これほど豊かな気持ちになるのは何故だろう。それから好きな山も増え、今では行きたい山はひろがった。けれども原点に立ち返るとき、いつも朝日連峰の稜線にいる自分に出会う。いつか四季を通してあの山に通いたい。