岩田 記
志水哲也著 『黒 部 へ』 (白山書房)
この前手嶋家にお邪魔した際、お借りした本である。ちょうど黒部上の廊下を遡行する機会に恵まれたばかりで、何かの縁かしらんと読んでみた。著者はガイドの志水哲也氏である。秘境の香りがする地をガイドするプランは、他のガイドとやや趣が異なりユニークである。黒部はそんな彼の原点とも言えよう。
前半は黒部周辺の無数にある谷という谷の探査の記録である。志水氏がまだ20代のころ、80年代後半から90年代にかけて宇奈月や黒部湖に下宿して、何か使命感に急き立てられるように遡行した足跡である。遡行図もあり、この山域の沢を目指すなら参考になろう。有名な沢ならともかく、地元山岳会でもなければおそらく足を踏み入れることもないだろうと思われるような沢がいくつもある。そんな隠れた手強い沢に個性的な大滝がいくつもあるのだ。
後半は前半とは打って変わり、比較的最近のガイド山行やテレビの撮影、その他黒部を生活の場にする人々との関わりなど、黒部をキーワードにまとめたエッセイ風である。下の廊下や黒部湖沿いの桟道を補修する建設会社の話や、黒部ダムに勤務する人々の話など、かなり興味深い。黒部登山の黎明期に活躍した案内人、かつて点在していた鉱山の様子やさらには加賀藩の奥山廻りにも触れている。谷という線を何本もトレースすることで面捉え、そのうえに歴史という奥行きを加えることで黒部を立体的にとらえるような試みである。
黒部の谷や大滝をほとんど単独で何本も集中的に登るというと、オニみたいな奴や頭のイカレた奴を想像してしまうが、結構ウエットな感情を引きずって遡行していたりして、人間的なものを感じる。内省的な文章からも人柄がにじみ出ている。
前半の遡行記では、何か登っても登っても登り足りないような飢えを満たそうとする荒々しさというか、トガった情熱が行間に充満しているが、後半はすっかり大人になって丸くなったという感じがする。そんな人間の成長、変化というものも感じられて面白い。