連載第18回 今月の一冊
『 日本百名山 』 深田 久弥 著
記 中島 憲一
連載第11回で『日本百名山』の誕生秘話を紹介したので、今回は『日本百名山』について、思うことを書かせてもらいます。
私が百名山を知ったのは、岩峰会の見学に来たとき、中西さんから「僕も昔は岩をやっていたが、今は深田 久弥先生の『日本百名山』を目標にしている」と話されたときのことです。
『日本百名山』は、深田 久弥氏が「山の品格・歴史・個性」を基準に、全国の名山から選んだ100座について綴ったエッセイで、山好きの人には説明の必要もないロングセラーでしょう。
単なるガイドブック・紀行文にとどまらず、山の地誌、歴史、民俗史、文化史が簡潔かつ適確に書かれ、なによりも文中に彩られた詩歌で、山の文学史が語られており、一般のガイドブックとは、一味も二味も違う魅力にあふれています。
ふだん何気なく山に登っていた人達も、この本を読み深田 久弥氏の筆力にふれれば、四季おりおりの山の美しさ・楽しさ・歴史・等々、日本の山の良さを再認識し、ぜひこの山に登りたい、或いはもう一度登ってみようと思うでしょう。
こうして、一般の登山者から好評をはくしている一方、識者からは
n あくまで深田 久弥氏が選んだ百山であって、『深田百名山』と呼ぶべきだ。
n 山の格で選んだのなら、いまひとつ納得できない山が数座ある。入れ替えるべきではないか。
n 西国三十三ヶ所霊場巡り等々の巡礼行が、観光化しているのと同様に、百名山を目標にしている人達は、レジャー気分の人がほとんどで、真の山好きとは言えない。
n ブームで登山者が百名山に集中するので、それ以外の隠れた名山は空いていて有り難い。
等々、批判から嫌味な意見まであり、悪しき意味での登山の大衆化に、一役買っているのは確かですが、こうした意見や百名山ブームという現象があること自体、名著の証明といえるのではないでしょうか。
深田氏は晩年、『日本百名山』の反響の大きさに戸惑っていたそうです。存命なら現在の百名山ブームをどう思うのか興味はつきません。
私は別にこだわりなく楽しく読み、いまでも暇なとき、興味を引いた山の章を読むことがあります。この本を初めて読んだ時点で、登っていたのはわずか5座(大台ケ原、伊吹山、大山、立山、薬師岳)でした。当初、特に百名山を意識しなくても、登山を続けていれば、定年退職までに半分ぐらいは登っているはず、後は老後の楽しみに百名山を巡るのも悪くないと思っていました。
その後、登山指向がクライミング中心になってきて、今回あらためて数えると、まだ29座しか登っていません。ここで百名山を意識して登りに行ったものの、登り損ねた山と登れた山を紹介し思うことを述べたい。
登り損ねた百名山 『 雨飾山 』(1963m)
ある年の秋、秘湯ブームに乗って信玄の隠し湯を訪ねることになった。それで、私・大住氏・唐橋君・M氏(その後退会)の4人は紅葉の頚城山群(長野と新潟の県境)に出かけた。
あいにくの雨で第一目標の明星山(登攀でなく翡翠をさがすのが目的)は中止、この日は朝から小谷温泉でのんびり湯につかり、第ニ目標の百名山・雨飾山を登るべく、ふもとの梶山新湯(信玄でなく謙信の隠し湯か?)の山小屋に移動した。
この山小屋には温泉のお風呂があり、さっそく入ったけれど、とてもつかっていられないほど湯はぬるく、小屋番に文句を言ってもそっけない態度で、大阪人のM氏はムカッとしていた。
翌日、朝早くからM氏にたたき起こされ出発した。登るにつれ紅葉は途絶え、少し雪が残っていた。しばらく登ると展望が開け、まずまずの山歩きと満足していたが、登り始めて2時間ぐらいした頃、朝から一番張りきっていたM氏が突然ダウン、登るのは止めると言い出した。(前夜の飲み過ぎか?)
「オッサン、ええかげんにせえよ!今回の山行はアンタが誘ったんやで!」と腹立ったけど、一人で待たせておくわけにもいかない。(勝手な人なのは承知しているから、一人で下山して道に迷われたりしたら大変なことになる)
結局リーダーの私が付き添って下山することになり、あえなく百名山をのがしてしまった。その後、後立山に登るたびに雨飾山を遠望していますが、あれ以来登る機会がないままになっています。
ついでながら、下山したとたん元気になったM氏は、帰りの高速で飛ばしすぎてスピード違反、罰金は4人のワリカンとなった。登れなかったうえに、思わぬ出費がかさみ、今でも思い出に残る(もちろん悪い方で)踏んだり蹴ったりの山行だった。
登れた百名山 『 那須岳 』(1917m)
ある年の春、茨城県に出張したとき、仕事は金曜の昼前に終わった。せっかくの週末、このまままっすぐ帰る気はないが、東京に出るとあらぬ誘惑が多すぎる。
といって、こんな田舎に面白そうなところがあるのだろうか?と、本屋でガイドブックを立ち読みすると、ここから那須高原が近く、山頂へはロープウェーで簡単に登れるのが分った。那須が百名山でなければ、多分行くこともなかっただろう。
さっそくJRとバスを乗り継いで、那須高原の温泉街に着いたが、いくらなんでも、スーツと革靴では山に登れません。よろず屋でジャージと運動靴を、土産物屋でナップサックを買い準備OK。この夜は旅館で美味いもん食って、のんびり温泉につかり日頃の疲れを癒した。
翌朝、ロープウェーで山に入り、溶岩のがらがら道を辿ると、一時間足らずで山頂の祠に着いた。しかし、あいにくの天候でガスっていて景色は何も見えない。とりあえず火口を一周すると、ところどころから噴煙があがっており、山が生きているのを実感した。
その後少し晴れてきたので、尾根すじに足をのばし、別の登山道を下山した。下山途中、地元の中学生200人ぐらいが、にぎやかに集団登山で登ってきたのに出くわした。ふるさとの山に登るのは彼らの伝統行事なのだろうか。
ほどなく、ふもとのバス停に着きミニ山行は終わった。再び那須を訪れることはないだろう。しかし、普段の山行とは一味違う、良い思い出になったのは確かだった。
以上、日本の山は比較的簡単に登ることができ、旅の延長と考えることもできます。また、日本の山と切っても切れないものに温泉があり、美味い水(イコール地酒)があります。であれば、癒しを求める現代人にとって、百名山ブームは必然であり、これからも『日本百名山』は、多くの人達に読みつがれていくことでしょう。
今のところ、私の登山指向はクライミング中心ですが、登山の出発点は、どちらかというと山旅派の人間で、ジジイになってまで、岩にしがみつきたいとは思っていません。百名山はまだ29座しか登っていませんが、人生80年の時代、百座完登は老後の楽しみにとっておきたいと思う、今日この頃です。
『 日本百名山 』の構想・執筆が始まったのは戦前ですが、戦争で中断。
その後、 1959年「山と高原」誌で連載開始、読者人気投票で第一回読者賞を得る。
単行本は1964年 新潮社より出版、第16回読売文学賞受賞。