連載第20回 今月の一冊
『 孤高の人 』 新田 次郎 著
記 中島 憲一
不世出の登山家、加藤文太郎の生涯を綴ったこの小説に、感銘を受けた人、影響された人は数知れないでしょう。登山を始めてすぐに、この有名な小説を知りましたが、私が読み始めたのは、だいぶ後になってからです。
実は、この小説読みだしたものの、なかなか先に進まず、前巻の途中で投げ出してしまった。何故だろう、当時は、ほとんど毎週山に行き、山の本も良く読んでいたはずなのに・・・。登山家が、あまりにも神格化されているのに、引っかかるものがあったのだろうか?
その後もずっと気になっていて、後年冬の北鎌尾根を登った後、今度こそ読もうと思ったのですが、結局、最後の遭難の顛末を飛ばし読みしただけに終わった。
さて、この都度あらためてこの小説を読み、「いやっ、感動した!」話しの筋も、実に良くできている。というか、自分が途中で音を上げた、神港造船所の研修生時代の話しが、その後の文太郎を語る伏線になっていたのだった。
昭和恐慌から日中戦争にいたる暗い時代を背景に、山に魅せられた文太郎が、何故、厳しい冬山の単独行に挑み続けたのか。
当時は、まだ一部特権階級のものであった登山の世界で、限られた休暇の中、全く独自の創意により、登山史に残る記録を次々に打ち立て、社会人登山家の道をつけたこと。
困難な山行を通じて、人間的に成長した文太郎が、社会人としても技師にまで登りつめ、雪洞での体験をヒントに、ディーゼルエンジンの気化促進という立派な仕事を成しとげたこと。
ヒマラヤ遠征の夢を秘めていた文太郎も家庭を持ち、最後の機会として、生涯で唯一パーティーを組んだ山行で、無謀なパートナーに引きずられ、北鎌尾根に逝ってしまったこと。
等々、現在、全く山とは無縁の自分だけれど、加藤文太郎という偉大な登山家の生涯を読んでいるうちに、かつての山に対する熱い想いが、よみがえってきた。
「孤高」とか「ひたむきに生きる」などという言葉が、死語になって久しいです。別に登山者が、求道者であらねばならないとは思いませんが、大衆化された現在の登山を想うとき、文太郎の生涯を多くの人達、特にこれから登山を志す若い人達に、ぜひ読んでもらいたいと思います。
自分も、登山を始める前、或いは始めた頃に、この小説を読んでいれば、その後の山行(だけでなく人生)は、また違った展開になっていただろう。若き日にこの小説を読み損ねたのは残念の極み、途中で投げ出したのが悔やまれる。
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話しはそれますが、その昔、先輩会員が「新田次郎の書く小説は、山男は純粋で、山女は美人?!・・・・ 」等々、100%ありえない話しをしていたような、いなかったような・・・・。もちろん酒席の冗談でしょうが、いらん話しを聞いたおかげで、新田氏に変な先入観をもってしまったようだ。
実は私、かつては技術者のはしくれで、社会人の出発点が製図工でした。登山を始めたのも社会人になってからで、文太郎に通じるものがあります。
ただし、私に関していえば、入会した頃の岩峰は厳しくて(チーフリーダーに言わせると、これでも大甘)、月曜日、職場に戻って製図台の前に座った時のけだるかったこと。ドラフター動かすのもおっくうで、当然、頭が回るはずがなく、月曜の勤務時間は、半分休養にあてていた。
今図面は、CADで書くのが普通ですが、文太郎の時代は、製図板にT定規だったから、線一本引くにも集中力を要したでしょう。
文太郎と自分を比べるなどと、畏れ多いことはしませんが、山はおろか、図面を書くこともなくなってしまった現在、いろいろな意味で昔のことが、懐かしく思われました。
もっとも、昔話をするようになれば、人間もオシマイ。「冬山は無理でも、夏山だけでも文太郎の足跡を追ってみたい・・・」とひそかに思う、今日この頃です。
ところで、私、この小説、多少の脚色はあるにせよ、山行に関しては、史実に基づいて書かれたものと信じていました。
ところが、いろいろ調べたところ、「単独行の文太郎」というイメージは、必ずしも真実ではなく、文太郎の山行が、冬季縦走から氷雪登攀に移るにつれ、パートナーを求め、昭和9年に、吉田富久氏(作中の宮村健?)と組んで、前穂北尾根の冬季登攀という重要な記録を残しています。
北鎌尾根の遭難も、決して失意の宮村健に、強引に押しきられた結果ではなく、天候判断の誤りが原因だったらしい。
もっとも、これらの史実を小説に加えれば、「孤高の人」という題名のインパクトがなくなる訳で、作者としても虚構の話しを作り上げねばならなかったのだろう。
あくまで「孤高の人」は、加藤文太郎をモデルにした小説であり、史実とは別モノ。と言ってしまえばそれまでですが、せっかくの感動が、ちょこっとしぼんでしまったのも確かです。
いまさら、「いらん詮索しなきゃ良かった・・・」と思ってもしかたないんで、次は、文太郎の遺稿集「単独行」と「孤高の人」を読み比べてみようと思います。